タグ別アーカイブ: On Fukushima Beach

【フクシマ・タイムズ】 2013年12月26日 On Fukushima Beach (6)

fukushima dai-ichi nuclear power plant

On Fukushima Beach (福島の渚にて) - その6: 抄訳の続き (最終)。『兄弟よ、まだ時間はある』という横断幕は、1959年から未来に向けての必死の叫びだったのかもしれない。どうやら、この件については、我々民衆が自力でやるしかないようだ。まだ時間はある ― 人類が死に絶えないように、声を上げ行動を起こすための。


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【フクシマ・タイムズ】 2013年12月24日 On Fukushima Beach (5)

fukushima dai-ichi nuclear power plant

On Fukushima Beach (福島の渚にて) - その5: 抄訳の続き。電力会社は、電気を売りさえすれば儲かる。[原子力] 発電所の建設は、補助金で賄われるから。こんな仕組みの補助金は、他の産業にはない。1950年代にアイゼンハワー米大統領によって、『アトムズ・フォー・ピース (平和のための原子力)』が開始されたとき、兵器産業は「原子力が必要だ」と言った。それは、裏に隠れて [核兵器開発を進めるための] カモフラージュだった。


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【フクシマ・タイムズ】 2013年12月22日 On Fukushima Beach (4)

fukushima dai-ichi nuclear power plant

On Fukushima Beach (福島の渚にて) - その4: 抄訳の続き。福島のマークⅠ型原子炉を設計したのは GE社だった。GEの技術者数名が、何十年も前にマークⅠ型の設計上の欠陥を訴えて辞職したにもかかわらず、結局その設計で使用が承認された。福島でGEが果たした役割を明るみに出さないよう、米国政府が日本に過度な圧力を掛けた。その目的は、日本人の米国に対する見方が、これ以上悲観的になるのを防ぐためであった。


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【フクシマ・タイムズ】 2013年12月19日 On Fukushima Beach (3)

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On Fukushima Beach (福島の渚にて) - その3: 抄訳の続き。Gundersen 氏は、事故後ほどなく、実態調査のために東京を訪問し、無作為に5ヶ所の土壌サンプルを検査した。その結果、5つのサンプル全てが、米国ならば放射性廃棄物とみなされる [線量の] 水準であり、処分するためにはテキサスまで運ぶ必要があることが判明した。


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【フクシマ・タイムズ】 2013年12月18日 On Fukushima Beach (2)

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On Fukushima Beach (福島の渚にて) - その2: ドキュメンタリー映画の抄訳の続きです。東京から数千万人を避難させるという議論は、原発危機そのものよりも酷い集団的パニックと大混乱を引き起こす恐れがあるとして、最終的に却下された。国民の健康に対する考慮よりも、パニックを回避し、うわべだけの正常と平穏を保つ必要性が優先された、ということだ。


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