岡田有希子 が、1985年7月10日(水)放映の『夜のヒットスタジオ』に出演した際、カメラリハーサル中に泣き出すというハプニングがあった。その時の歌が、同年7月17日発売の新曲『哀しい予感』。
1985 夜hit 岡田有希子 哀しい予感
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涙が止まらないユッコ
なぜ彼女はリハの途中で泣き出してしまったのだろう。本番では泣かずに唄い切っているので、本番で涙を流すための練習ではなかったことは明らかだ。
彼女が泣き出してしまったのは、
「好きよ 好きよ こんなにも好きよ
お願いよ うわさなんか 嘘だと言ってね
私だけ愛してると
誓った言葉を 信じたいから」
というパートだ。
涙の本当の理由は、彼女がこの世を去ってしまった今、知る由もない。だが、一つの仮説として、歌詞が自らの境遇とダブって、歌いながら感極まってしまった、という可能性はあるのではないか?
中森明菜が『難破船』を歌いながら涙ぐんでいる映像が残っているが、やはり歌詞を自らの失恋と重ね合わせていたのではないだろうか。
この仮説が正しいとすると、ユッコはすでにこの時期に失恋していたか、失恋の哀しい予感にとらわれていたことになる。
ウィキペディア「岡田有希子」の項によれば、彼女が峰岸徹と共演した連続テレビドラマ『禁じられたマリコ』の撮影時期は、1985年9月19日から12月末までだ。
「11月5日から放送の連続テレビドラマ『禁じられたマリコ』(TBS系)で初主演。その撮影は、コンサート期間中の9月19日から12月末まで、毎日のように行われた」
(出典)ウィキペディア日本語版 「岡田有希子」の項
つまり、ユッコが『夜のヒットスタジオ』のリハ中に泣き出した事件(1985年7月10日)の時点では、ドラマ『禁じられた~』の撮影はまだ始まっていない。このリハ中の涙が、失恋によるものだとすれば、その失恋相手はおそらく峰岸徹ではなかっただろう。
もし巷間で言われているように、ユッコがドラマで共演した峰岸への思いを募らせていったというのが本当だとしたら(本当だとしても)、 峰岸との失恋の時期はもっと後(具体的には、ドラマ撮影終了後の1986年)になるはずだ。
だから、1985年7月時点のユッコの意中の男性は、峰岸徹以外の人だった可能性が高いのではないだろうか。
この「リハ中泣き出し」事件の少し前の6月24日に、神田正輝が松田聖子 との結婚式を挙げている。これがユッコの精神面に影響を及ぼしたのではないだろうか?
「風に散った 私の初恋」
この「リハ中泣き出し」事件は、彼女の自死の前兆だったのではないか?
『哀しい予感』を作詞・作曲した竹内まりやは、「この曲を書いた直後のライブを観に行った楽屋で、久しぶりに会った岡田からデビュー直後の頃の笑顔が消えていたのが非常に心配になっていた」と証言している。この時期の岡田有希子が、精神的に相当参っていた様子を示す貴重な証言だ。(竹内まりやは、岡田有希子のデビュー曲から続く“学園三部作”の作詞作曲を手掛けており、「哀しい予感」は3枚ぶりのシングルの提供だった。)
(出典)ウィキペディア日本語版 「哀しい予感」の項
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%93%80%E3%81%97%E3%81%84%E4%BA%88%E6%84%9F_(%E6%9B%B2)
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