『闇に葬られた「怪死」の真相』 別冊宝島編集部 (編)、宝島社(2016年)の中の一節は、岡田有希子の飛び降り自殺を扱っている。元スポニチ芸能記者の中野信行氏の取材に基づくものだ。
中野氏は、有希子の所属事務所(サンミュージック)が公に情報を流した経緯がないのに、遺書の内容が「漏れてしまった」ことに「作為」の匂いを感じた、と述べている:
(峰岸との失恋は、もしかするとつくられた情報では・・・)
そうして、中野氏は「神田正輝本命説」を紹介した上で、その説を否定している。
https://truthsocial.com/@amanojuku/posts/111668524492571507
このように、中野氏は「神田本命説」を否定しているのだが、氏は「石原プロの番記者」だったのだから、氏が石原プロに不都合な情報を握りつぶしている可能性は否定できないだろう(本人は否定しているが)。また、具体的なつながりが「見つからなかった」からと言って、それが「なかった」ことにはならない。「あった」のだが、「見つからなかった」ことはあり得る。
実際、ユッコの意中の男性が神田正輝だったと考えると、合点がいく点が多いのだ。
1986年4月7日、テレビのワイドショー番組で「松田聖子 妊娠4カ月、10月出産、石原裕次郎 に報告」と報道されたらしいことが、朝日新聞朝刊縮刷版のテレビ欄で確認できる。ユッコはその翌日に自殺しているのだ。聖子が正輝の子を身ごもったという報が、ユッコを絶望の淵に追いやったのではないだろうか。
【あまのじゅく メモ No.3】 (「松田聖子=石原裕次郎の愛人」説)で見たように、愛人の松田聖子との間に子をもうけたいと願った石原裕次郎が、聖子との愛人関係を覆い隠すために、聖子の「仮面の夫」役として、石原プロ子飼いの神田正輝を指名した、と仮定しよう。この偽装工作の煽りを食ったのが、岡田有希子だったのではないだろうか。
「名うてのプレイボーイ」として知られた神田正輝は、聖子の事務所の後輩にあたる岡田有希子に遊びで手を出していたのではなかろうか。正輝は、ボスである裕次郎から、聖子の「仮面の夫」役になるよう指令を受け、ユッコとの関係清算を図ったのだろう。「いいお友達でいよう」とか何とか言って。
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