投稿記事

【あまのじゅく メモ No.4】岡田有希子 自殺の真相に迫る

『岡田有希子はなぜ死んだか』上之郷利昭(著)、新森書房(1986年)には、ユッコの死の二ヵ月後に公表された、「きわめて遺書に酷似したもの」とされるメモの内容が掲載されている。メモの出典は、『週刊ポスト』1986年7月4日号に掲載された「梨元勝の『芸能界の謎を撃つ』 まだある岡田有希子の『未公開メモ』と峰岸弁明『二つの?』」という記事だ。

『岡田有希子はなぜ死んだか』上之郷利昭(著)、新森書房(1986年)p.164~165より引用

https://www.facebook.com/amanojuku/posts/860517536079263/

Okada_Yukiko_wa_Naze_Shindaka_www.facebook.com

同書の帯は『あの自殺は 失恋なんかが原因じゃない!』と謳っているのだが、このメモに綴られているのは、紛れもなく恋に破れた女性の心情の吐露ではないのか。

『ずるい、ひどい今さらそんな・・・・・・』という言葉からは、「裏切られた」という思いが伝わってくる。彼女の一方的な片恋だったら、こんな表現にはならないだろう。

残念ながらメモが書かれた時期は分からないが、ここに『あなた』と綴られている人物が、ユッコの自殺のカギを握っていると見ていいだろう。


自殺後ほどなく発見された岡田有希子の遺書は、〈峰岸さんに憧れていたのに、冷たくされて悲しい〉というような内容だったと伝えられ、有希子の自殺は俳優・峰岸徹との失恋が原因だと報じられた。

報道を受け、自殺の当夜、峰岸は記者に囲まれ急遽会見を行った。峰岸は、岡田有希子の自殺の前年(1985年)に、テレビドラマ『禁じられたマリコ』にて彼女と共演していた。この会見で峰岸は、「正直ものすごいショックです」「僕はアニキのつもりだったが、彼女にはそれ以上のプラスアルファがあったのかも知れない」とコメント。また報道陣から男として責任を感じるかと問われ、「彼女にとっての初恋のようなものだったんだと思う。年も離れていますし、(峰岸からは)あまり好意を見せないように気を付けていたくらいでしたが、彼女からのそれが愛だったとすれば責任はあると思います」と回答した。

後年に出版プロデューサーの但馬オサムは、当時松田聖子が神田正輝と婚約したばかりであり(原文ママ。事実は、松田聖子と神田正輝は、岡田有希子が自殺する前年の1985年6月にすでに結婚式を挙げている)、岡田の遺書に名前が記されていた俳優が神田ではないかという憶測があったため、松田と神田の芸能生命を守るために石原裕次郎に頭を下げられて峰岸がその風避けになった、と記している(『昭和55年 写真生活』ダイアプレス(2017年)p44-45)。

(出典)ウィキペディア日本語版 「峰岸徹」の項

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B3%B0%E5%B2%B8%E5%BE%B9

峰岸徹と言えば、石原裕次郎と松田聖子の愛人関係を仲介した人物として、名前が挙がっていたことを思い出していただきたい。

【あまのじゅく メモ No.3】 「松田聖子=石原裕次郎の愛人」説

https://amanojuku.com/?p=8060

(下のページ番号をクリックして、次のページへお進みください。)