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【うらおもて歴史街道 No.4】 ドナドナの謎


小岸氏は、前掲書『マラーノの系譜』を執筆後、1994年に取材のためイスラエルを旅している。そして、「ドナドナ」のリフレインは「アドナイ」の短縮形ではないか、という仮説を検証すべく、同国のヤッフォで現地のユダヤ人たちに聞き取りを行った。だが、そこで返ってきた答えは意外なことに、小岸氏の仮説に対して否定的なものだった

エルサレム・ヘブライ大学博士課程で、イディッシュ文学を専攻しているある学生は、「ドナ」を「アドナイ」に由来するものとするのは俗流語源学であり、イディッシュ語本来の法則からしても、「アドナイ」の短縮形が「ドナ」になることは絶対にない、と答えたという。

小岸氏は、著書『離散するユダヤ人 ― イスラエルへの旅から ―』(岩波新書、1997年)の中で、「イスラエルへ行って尋ねれば、『ドナ』が『アドナイ』の短縮形であるという説を肯定する答えがすぐに返ってくるとばかり思っていたので、それだけに私の失望は大きかった」と打ち明けている。

細見氏の知人でイスラエルの大学に就職した研究者も、イディッシュ語の圧縮変化の法則からすると、「アドナイ」が「ドナ」になることは絶対にない、と指摘したという。(前掲書『ポップミュージックで社会科』)

さらに、「ドナドナ」の作詞者は、実はイツハク・カツェネルソンではないのだという。この曲の原作者は、作詞アーロン・ツァイトリン、作曲ショローム・セクンダであり、1940年の作品なのだそうだ。

黒田晴之氏の調査によれば、作詞者のアーロン・ツァイトリンは、1899年にロシアで生まれ、のちにワルシャワに移り、イディッシュ語とヘブライ語で多くの詩や戯曲を書いた。彼は奇しくもヒトラーがポーランドを急襲する1939年にニューヨークのイディッシュ劇場から招かれて合衆国に移住し、そこでイディッシュ劇の台本を書く仕事に携わる。そして、1940年に彼が書いた台本の挿入歌の一つに『ドナドナ』があった。一方、作曲家のセクンダは1894年の生まれで、幼少時代をウクライナの黒海沿岸の都市オデッサで過ごし、1907年に合衆国に移住した。そこで彼は作曲家としての仕事をはじめ、ニューヨークのイディッシュ語劇の作曲も担当するようになった。こうして、ツァイトリン、セクンダによって、イディッシュ語版の『ドナドナ』が作られることになった。(前掲書『ポップミュージックで社会科』)

したがって、「ドナドナ」のイディッシュ語オリジナル版は、1940年にニューヨークで作られたということになるが、そうなると、もはやこの曲はユダヤ人のホロコーストを歌ったものとは言えなくなる。ナチによるホロコーストが始まるのは1941年6月だから、その一年前にすでに「ドナドナ」は作られていたことになる。

さらに黒田氏の論文によれば、作曲者セクンダの草稿では、”dona” が ”dana” と綴られていた、という。つまり、「ドナドナ」ではなく「ダナダナ」が、イディッシュ語オリジナル版での発音だったということになり、「アドナイ」からはさらに遠ざかる。(「『子牛』のまわりにいた人たち ― ある歌の来歴をめぐるさまざまな問い」、黒田晴之、『港(ナマール)』第八号、日本・ユダヤ文化研究会、2003年)

だが、「直接ホロコーストを歌っているかどうかはともかく、イディッシュ語版の『ドナドナ』が抑圧されている人間の悲しみを歌った歌である」ことは疑いないと言っていいだろう。(前掲書『ポップミュージックで社会科』)

ロシア皇帝の支配下にあった東ヨーロッパ地域では、ユダヤ人に対する民族虐待(ロシア語で「ポグロム」と呼ばれる)が続いていた。特に、1881年にロシア皇帝アレクサンドル二世が暗殺された時は、ユダヤ人による仕業とされ、報復のポグロムの嵐が吹き荒れた。それによって、故郷を追われ難民と化したユダヤ人の中には新天地アメリカを目指した者が多かった。(当時のニューヨークにイディッシュ劇場があったのは、東ヨーロッパから移住してきたユダヤ人がそれだけ多くいたことを意味する。)

東ヨーロッパから移住してきたユダヤ人たちは、故郷での迫害の記憶を携えて暮らしていたはずです。『ドナドナ』の原作者であるツァイトリンとセクンダも同じです。」(前掲書『ポップミュージックで社会科』)

作詞者ツァイトリンの暮らしていたワルシャワでも、ユダヤ人は事あるごとに迫害されていた。1939年にナチがポーランドに侵攻した後、著名な知識人であったツァイトリンの父ヒレル・ツァイトリンは、ワルシャワ・ゲットーで殺されている。

また、作曲者セクンダが幼少期を過ごしたオデッサでも、1905年(セクンダが1011歳の時)にユダヤ人に対する大虐殺事件が起きている。彼がその時点でオデッサにいたかどうかは分からないが、故郷での出来事として強烈な印象を与えたことは確かだろう。

このような背景を考えるならば、細見氏が指摘するように、「ドナドナ」に直接ホロコーストの記憶が込められているのではないにしろ、少なくとも東ヨーロッパにおけるユダヤ人に対するポグロム(虐殺)の記憶が込められていることは確かだろう

さらに、前掲黒田氏の論文によれば、「ドナドナ」が第二次世界大戦終結時にヨーロッパの難民キャンプにおいて、イディッシュ語で歌われていた、という証言がある。どのようにして「ドナドナ」が、4~5年の間にニューヨークのイディッシュ劇場からヨーロッパに渡ったのか、その経緯は分からない。

だが、「重要なことは、これ以降、『ドナドナ』の歌がたんにポグロムの記憶だけでなく、ショアー [注: ホロコーストを意味するヘブライ語] の記憶をもこめて歌われる歌になった」ということだ。(前掲書『ポップミュージックで社会科』)

それにしてもドイツのフォークグループ、ツップフガイゲンハンゼルは、なぜイディッシュ語版「ドナドナ」の作詞者をイツハク・カツェネルソンとしたのだろうか。(1) 原作詞者がツァイトリンであることを知らなかったのか、(2) 知っていたが確信犯的に間違えたのか、はたまた (3) 本当の作詞者はカツェネルソンであることを示す、一般には知られていない情報を持っているのか。真相は闇の中だ。

個人的には、小岸氏の「donaj = アドナイの短縮形」説も捨てがたい。新事実の発見によりそれまでの定説が覆ることは珍しくないので、新たな史料の発掘などに期待したいところだ。

(参考音源)

次の女性歌手が歌っているバージョンでは、リフレインは「ドナ・ドナ・ドナ・ドーナ、ドナ・ドナ・ドナ・ドン」と歌っている。

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