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【うらおもて歴史街道 No.3】 コロンブスはなぜアメリカ大陸に渡ったのか

〇 スペインにおけるコロンブス

ポルトガルを後にしたコロンブスは、息子ディエゴを連れて、乞食同然の姿でスペインのパロスに上陸(1485年)したと伝わる。そこからリオ・チント川の下流2キロ程の所にあるラ・ラビダ修道院に息子を預けた。

(マダリアーガは、コロンブスがパロスに上陸した理由として、そこから約6キロの港町ウェルバに、先妻フェリパの妹二人が住んでおり、そこに息子の世話を頼もうとしたため、と推定している。なお、パロスは奴隷貿易の拠点であったが、このウェルバという町も奴隷貿易を行っていた。)

コロンブスはラ・ラビダ修道院で知り合ったファン・ペレス神父から、天文学者アントニオ・マルチェーナ神父(改宗ユダヤ人) → メディナ・シドニア公ドン・エンリケ・グスマン → メディナ・セリ公ドン・ルイス・デ・ラ・セルダ(本稿 p. 4参照)→ トレードの大司教メンドゥーサというルートで順次紹介を受け、そこからカトリック両王に西廻り航路計画を売り込んだとされる。コロンブスは、メディナ・セリ公ドン・ルイス・デ・ラ・セルダの元で食客として2年過ごした。

しかし、本書著者の福井氏は、実際には上記のルートとは逆に、コロンブスが初めからメディナ・セリ公か、メンドゥーサ大司教につながっていたのではないか、と考えている。メディナ・セリ公とは、プロヴァンス伯レーネ傘下の私掠船で働いていた時につながりがあった可能性があるし、メンドゥーサ大司教とは、先妻フェリパの父方ペレストレーロ家を通じたコネクションがあったかも(本稿p. 5参照)しれない。しかも、メディナ・セリ公とメンドゥーサ大司教は、同じ改宗ユダヤ人を祖母に持つ従兄弟同士の関係にあった。

その後、コロンブスはコルドバに居を構えた。コルドバには多くのジェノヴァ商人が定住していた。その中のエスバッローヤ家という商家にコロンブスはよく出入りしていた。この家は表向き薬局を経営していたが、裏で奴隷貿易に従事していたコロンブス自身がポルトガル時代に奴隷貿易に携わっていたと見られ、そのつながりからこの家に出入りしたのだろう。

この家主の友人ロドリゴ・エンリケス・デ・アラーナを通じて、コロンブスは第二の妻(内妻)ベアトリスと知り合う。(このアラーナ家の系統にロドリゴという人物がおり、やはり奴隷貿易に携わっていた。ロドリゴの息子ディエゴは、コロンブスの第一次航海に参加。)ベアトリスの父方トルケマダ家は、改宗ユダヤ人の家系である可能性が高い

コロンブスの第一次航海の西廻り航路計画の具体化には、改宗ユダヤ人の家系の人物が数多く関わっていた。幾つか例を挙げると、

タラベーラ神父: 計画の諮問委員会の長。後にグラナダの大司教。メンドゥーサ大司教の息のかかった人物。

ディエゴ・デ・デサ: 諮問委員会の委員。後にイサベラ女王の聴罪師。

ルイス・デ・サンタンヘル: アラゴンの経理官(本稿p. 1参照)。遠征費用の一部を立て替える。

ガブリエル・サンチェス: アラゴンの出納官。(本稿p. 3参照)。

・ファン・デ・コロマ: サンタフェ契約を記した書記官。

・ファン・カブレロ

・アロンソ・デ・カヴァレリア、他

イサベラ女王の周りも、ユダヤ人・改宗ユダヤ人が取り巻いていた。例として、

アブラハム・セニョール: 長年に亘りカスティリアの徴税官を務め、イサベラに金を貸し付けた。イサベラとフェルナンドの結婚を取り持った。イサベラの即位に際して多大な援助を与えた。

イサク・アブラバネル: 対イスラム戦のためにイサベラに多額の融資を行った。

メンドゥーサ: トレード大司教。

タラベーラ: グラナダ大司教。

トルケマダ: 異端審問所長官。

・フェルナンド・デ・プルガール: カトリック両王の年代記を書いた。

「気がついたのは女王がキリスト教徒よりも、洗礼を受けたユダヤ人 [= 改宗ユダヤ人] の方をもっと信頼している事実である。女王は彼らの手に財政事務をすべて託している。彼らは女王の顧問であり、秘書であり、王(フェルナンド)にしても同じである。」(『コロンブス』、増田義郎 著、岩波新書)

フェルナンド王の周りも、多くの改宗ユダヤ人が取り囲んでいた。驚くべきことに、フェルナンド自身の体にユダヤ人の血が流れていたと言われるフェルナンドの母ファーナはカスティリアの貴族出身だが、改宗ユダヤ人の家系らしい。

スペインの改宗ユダヤ人の中には、経済力を背景に結婚によって貴族とのつながりを持ち、高位聖職者や宮廷の財務官などの地位に登りつめる者もいた。有力ユダヤ人商人の一部も、持参金付きで娘を貴族に嫁がせ、自らの社会的立場を強化していった。このため、中世後期スペイン貴族の家系には、かなりユダヤ人の血が流れ込んでおり、それは現在まで続いていると言われる。

イサベラとフェルナンド時代のスペインの、政治の中枢を調べれば調べる程、芋づる式に多くのユダヤ人や改宗者の名前が出てきて我々を驚かせます。実際このリストは際限がありません。(中略)おそらくユダヤ人や改宗者なしに、近代スペインは成り立たなかったのではなかろうかとさえ思われます」(『コロンブス』、増田義郎 著、岩波新書)

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