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【うらおもて歴史街道 No.3】 コロンブスはなぜアメリカ大陸に渡ったのか


〇 謎に包まれたルーツ

コロンブスの出生地については、従来から色々な説が提示されてきたが、ジェノヴァの15世紀の公証人の文書により1451年にイタリアのジェノヴァに生まれたことはほぼ確実と見られる。(なお、ジェノヴァのコロンブス家に関する公証人文書では、コロンブスの祖父が死んだ1444年以前の記録は見つかっていない。)

しかし、「コロンブスはジェノヴァ人である」と一言で片づけてしまうことができないほど、その素性は謎めいており、多くの研究者を悩ませてきた。

コロンブスの言語の問題

コロンブスは、イタリア語をほとんど使わなかった。話すことはできたが、書かなかった。イタリア人との手紙のやり取りさえスペイン語であった。

一方、スペイン語はカスティリアに入国する(1485年)前から話し、かつ日常的に書いていた。コロンブスのスペイン語は、15世紀のカスティリア語とは幾分異なっていたようで、カタルーニャ語混じりと思われるスペイン語だった。また、コロンブスはラテン語を習得していたが、ラテン語の間違いはスペイン語風に間違えていた。

コロンブスの改名の問題

コロンブスの名前は、イタリア語表記でクリストフォロ・コロンボである。(クリストファー・コロンブスは、英語表記。本稿では便宜上、この人物を英語表記のコロンブスで呼ぶ。)

コロンブス(コロンボ)は、カスティリアに入国後、コロンを名乗るようになる。スペイン名「コロン」は、イタリア名「コロンボ」に音声学的にも直訳的にも対応しない。

コロンボという姓はスペインにも存在したし、当時のスペインにはジェノヴァ人が大勢いてイタリア名を変えずに使い続けた人たちもいたので、コロンブスがイタリア名「コロンボ」からスペイン名「コロン」に改名する必要はなかった

コロンブスの故郷ジェノヴァに対する無関心 (詳細は割愛)

④ コロンブス一家の放浪性(詳細は割愛)

上記のような問題点に整合性を与えるために、スペインのガリシア地方生まれの作家・外交官マダリアーガ(1886年生-1978年没、駐米大使・国際連盟代表を務めた)は、コロンブスの近い祖先がスペインからジェノヴァに渡ったユダヤ移民であったとする説を提示した。スペインでは、コロンブスの一家がスペインからの移民であったとする説が、従前から唱えられており、その最も有名なものがマダリアーガの説とのこと。

この説に従えば、

① コロンブスの言語の問題については、コロンブスの近い祖先がスペインからジェノヴァに渡った後も、ユダヤ人の伝統にのっとり出身国の古い言語を忠実に守り続け、家庭内ではスペイン語が話されたと考えられる。

② コロンブスの改名の問題については、ユダヤ人には移住に際して改名する習慣があり、その時に名前の意味の転換を伴うことも多い。例えば、フリーデマン(ドイツ語で「平和の男」) → フリーマン(英語で「自由の男」)のように。コロンブスは、このユダヤ人の伝統に従い、カスティリア入国に際して姓を変えたのであろう。

コロンという姓のユダヤ人は、イタリアのロンバルディア地方や中世フランスに多数実在した。そのルーツは、ドイツのケルンに住み着いたローマ帝国時代のユダヤ人にさかのぼる。「コロン」とは「植民者」の意味である。これは、コロンブスが「発見」したアメリカ大陸に、のちに多数のユダヤ人が移民したことを思えば、実に意味深長である。(コロンブスは、改名で遠い祖先の姓に戻したという可能性もある。)

一方、イタリア語のコロンボ(およびカタルーニャ語のコロム)の意味は「鳩」である。鳩は、ノアが箱舟から放した鳥であり、ユダヤ人には特別な意味を持つ鳥であった。

コロンブスと同時代の何人かの重要人物は、彼の姓を「コロム」と表記していた。コロムという姓のユダヤ人はカタルーニャやマヨルカ島に多数実在した。これらの同時代人は、コロンブスをカタルーニャやマヨルカ島のコロム一族と同族とみなしていたものと見られる。

カタルーニャには、中世のユダヤ人迫害期に多くのユダヤ人が流入した。中世においてユダヤ人は地中海貿易を担っていたが、カタルーニャの中心都市バルセロナはそうした港湾都市の一つであった。多くのカタルーニャ人は、コロンブスがカタルーニャ人だと信じているようだ。

マダリアーガは、コロンブスがのちに作成した旗の紋章の一部分が、カタルーニャに実在する家紋と同じであったことを挙げている。また、田澤耕氏によれば、カタルーニャのセルベラ市近郊タロジャの教会の門には、コロンブス家の紋章と同じ紋が刻まれているという。

コロンブスが新大陸で名付けた地名のほとんどが、マヨルカ島の地名であったとする説もある。マヨルカ島は、歴史的に南仏との関係が深く、中世以来、フランスのユダヤ人の中継貿易基地であった。フランスでユダヤ人追放令が出された(1394年)後は、マヨルカ島がユダヤ人の格好の避難場所となった可能性がある。

マダリアーガは、「マヨルカ島は、13世紀から高度の航海術の中心地であった。(中略)マヨルカ人とカタルーニャ人が1286年よりかなり以前から航海図を使用していたこと、また、マヨルカ人が、粗雑なものには違いないが、船上で時間と北極星の高さを測定するために用いられる器具を作っていたことを知るのである。この地を通してアラブ人の知識が全地中海域に広まった」と述べている。

以上のことから、コロンブスの祖先はカタルーニャ周辺あるいはマヨルカ島からのユダヤ移民であり、そこに住むコロム一族と何らかの関係があったのではないか、と考えられる。祖先もユダヤ人の伝統に従って、ジェノヴァへの移住に際してコロムからコロンボに改名したのであろう。

カタルーニャのコロム一族は、同じカタルーニャのカザノヴァ家と血がつながっており、この家からはスペイン王位継承戦争(1710-1714年)におけるカタルーニャの英雄ラファエロ・カザノヴァが出ている。カザノヴァ家は、南仏のカズノヴ・クーロン(後述)とも血縁関係があることが確認されている。

なお、コロンブスの母の名はスサーナ・フォンタナロッサスサーナの父(コロンブスの母方の祖父)の名はジャコモであるが、スサーナとジャコモはいずれも伝統的なユダヤ人の名であるコロンブスの母方のフォンタナロッサ家もユダヤ系であることが疑われる。また、コロンブスの弟の一人の名もジャコモである(のちにディエゴに改名)。

「コロンブス=ユダヤ人」説を唱える者は、マダリアーガだけではない。だが、今でも、スペインの一部とアメリカのユダヤ人を除いて、学者間で「コロンブス=ユダヤ人」説を唱える者はほとんどないようだ。日本でも、マダリアーガの『コロンブス正伝』2) 以外に2冊ほど書物が翻訳・出版されているが、これらの著者はいずれも学者ではない。学界では「コロンブス=ユダヤ人」説はタブーであるらしく、それを唱えると学者としての生命が危うくなるようだ。

しかし、以下で見ていくように、「コロンブス=ユダヤ人」説を支える多数の状況証拠がある

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