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【うらおもて歴史街道 No.2】 ウォール街とボリシェヴィキ革命

○  アメリカン・インターナショナル・コーポレーション、120 Broadway

本書に繰り返し登場する重要な企業に、アメリカン・インターナショナル・コーポレーション (以下AICと略す) がある。AICは、スティルマン=ロックフェラー系のナショナル・シティ銀行やモルガン財閥などが中心となって、1915年11月に設立された。所在地は、120 Broadway (ブロードウェイ120番地) であった。この120 Broadway が、さながらボリシェヴィキ革命の利害関係者の拠点のような様相を呈していくのである。

AICは、積極的に海外投資を行い、世界中に事業を展開し、ロシアのペトログラードにも事務所を持っていたらしい。AIC傘下の100%子会社である、造船会社アメリカン・インターナショナル・シップビルディング・コーポレーション (American International Shipbuilding Corporation) は、第一次世界大戦中のアメリカ戦艦の建造を受注した。また、同じく100%子会社のサイミントン・フォージ・コーポレーション (Symington Forge Corporation) は、政府から弾薬の鍛造を受注した。このように、AICは軍需関連の契約を受注する立場にあったので、第一次世界大戦の継続に強い関心を持っていたと言える。

ここで、1917年におけるAICの役員の一覧を見ておこう (図3参照)。

Fig3

 

スティルマン=ロックフェラー系のナショナル・シティ銀行やモルガン財閥の役員に加えて、ニューヨーク連邦準備銀行 (Federal Reserve Bank of New York) の理事も名を連ねていることが分かる。

そしてAICとニューヨーク連邦準備銀行の所在地が同じ120 Broadwayであったことに注目いただきたい。当時、120 Broadway にはEquitable Life Building というビルが建っており、両者はこのビルに入居していた。しかも、C. A. Stone という人物が、AICの社長とニューヨーク連邦準備銀行の理事を兼務していた。当時、ニューヨーク連邦準備銀行の理事は9名で構成されていたが、その内の4名がAICの役員を兼務していたことが分かる。AICとニューヨーク連邦準備銀行の利害が、かなり絡み合っていたことが分かる。(加えて、アメリカ赤十字の1917年ロシア派遣団の項で見た、William Boyce Thompsonもニューヨーク連邦準備銀行理事であったことに注目。)

120 BroadwayのEquitable Life Buildingには、他にもゼネラル・エレクトリック、鉄道建設会社のStone & Webster、チェース・ナショナル証券、ギャランティ証券などが入居していた。ゼネラル・エレクトリックとStone & Websterも、AICに役員を送り込んでいる (図3参照)。

AICは、外交官出身の事務総長 (Executive Secretary) William Franklin Sands を通じて、国務省とも太いパイプを持っていた。ロシアの十月革命からわずか2か月過ぎたばかりの1918年1月、国務長官 Robert Lansing は、ボリシェヴィキ (ソヴィエト) 政権に対処する方針について、何と一私企業のAICに意見を求めている。この求めに応じ、AICのSandsは、ボリシェヴィキに対して断固たる支持を表明し、アメリカがボリシェヴィキを承認するよう働きかけた。

また、AICは、親ボリシェヴィキの著名ジャーナリスト、ジョン・リードを陰で支援していた。(リードは、「世界をゆるがした十日間」(1918年) でボリシェヴィキ革命をレポートした。)  リードが1920年にフィンランド当局に拘束された時、AICのSandsは国務省を通じて介入し、結果的にリードは釈放されている。これ以外にも、Sandsはリードのために便宜を図ってやっている。

さらに、リードの生計の柱は、「メトロポリタン」誌への寄稿であったが、同誌はモルガン財閥の支配下にあった。「メトロポリタン」誌を所有していたHarry Payne Whitneyは、モルガン財閥のパートナーであり、同財閥傘下のギャランティ・トラストの役員であった。

リードは、モルガン財閥やロックフェラー財閥に対して批判的な記事も書いていたが、モルガンやAICはリードをうまくコントロール出来ると考えていたようだ。リードのボリシェヴィキとのコネクションが「使える」、と判断されたのだろう。

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