4) ジャーナリスト Wayne Madsen 氏による報道
- オバマは、シカゴのトリニティ合同教会(ジェレミア・ライト師が牧会)の聖歌隊指揮者ドナルド・ヤング(Donald Young)氏と性的関係にあった。ヤング氏は、ゲイであることを公表していた。オバマは同教会に20年近く(1992~2008年)所属していた。
- 同教会には、ドナルド・ヤング氏以外にも、ゲイであることを公表している男性が2人いた。ラリー・ブランド(Larry Bland) 氏とネイト・スペンサー(Nate Spencer)氏である。
- ドナルド・ヤング、ラリー・ブランド、ネイト・スペンサーの三氏は、2007年後半、わずか1ヵ月半の間に全員が「都合よく」死亡した。オバマが民主党の大統領候補として台頭し始めた頃だ。
-ブランドは、2007年11月17日に処刑のような形で殺害(銃殺)された。
-ヤングは、2007年12月23日に処刑のような形で殺害(銃殺)された。
-スペンサーは、2007年12月26日に「敗血症、肺炎、HIVにより」死亡したとされる。 - ドナルド・ヤング氏の母親は、オバマの評判を守るために息子ドナルドは殺害されたのではないか、という疑念を口にしている。
- オバマとドナルド・ヤング氏の性的関係については、後述するラリー・シンクレア(Larry Sinclair)氏も証言している。
「オバマのゲイの恋人たちは『都合よく』死ぬ」
SPECIAL REPORT: OBAMA’S GAY LOVERS ‘CONVENIENTLY’ DIE
https://americasfreedomfighters.com/special-report-obamas-gay-lovers-conveniently-die/
ドナルド・ヤングとラリー・ブランドの死亡証明書
Death Certificates Of Murdered Donald Young And Larry Bland – Both From Obama’s Church
https://rense.com/general82/cdet.htm
5) オバマとラーム・エマニュエル(オバマ政権の大統領首席補佐官、後に駐日米国大使)は、シカゴの老舗ゲイ浴場の終身会員だという地元情報筋の話
Obama & Emanuel – Members Of Same Chicago Gay Bath House
https://rense.com/general95/onemanuel.html
- その浴場は「マンズ・カントリー(Man’s Country)」といい、ゲイの人々が出会いを求めて集まる社交場(日本の「ハッテン場」に相当か)だった。1973年に開業した老舗だったが、2017年に廃業。
- オバマは1990年代半ば、同浴場に出入りするようになったという。この時期のオバマは、シカゴ大学ロースクールで講師を務め、1996年にイリノイ州上院議員に当選している。
- エマニュエルは、クリントン政権のホワイトハウスを1998年に去って、シカゴに戻った後に、同浴場の会員になったという。
- シカゴのゲイ・コミュニティは、オバマが有名な 「ナンパ・バスケットボール」の試合でしばしば若い男たちと接触していたことを知っている。オバマがエマニュエルと初めて会ったのも、この「ナンパ」試合だった。
図5. ゲイ浴場「マンズ・カントリー」の広告ポスター
「シカゴ最古のゲイ浴場『マンズ・カントリー』、44年の歴史に幕を閉じる」と報じるシカゴ・トリビューン紙
Man’s Country, Chicago’s oldest gay bathhouse, closing after 44 years
https://www.chicagotribune.com/lifestyles/ct-life-mans-country-bathhouse-closing-1230-story.html
6) イリノイ州上院議員時代のオバマと性的関係を持ったという Larry Sinclair 氏の証言
2008年6月18日にワシントンDCのナショナル・プレス・クラブで開かれた記者会見におけるラリー・シンクレア氏の声明
Larry Sinclair News Conference June 18, 2008 National Press Club Washington, DC
“PRESS STATEMENT OF LARRY SINCLAIR JUNE 18, 2008
https://citizenwells.substack.com/p/larry-sinclair-news-conference-june
Larry Sinclair Press Conference @ (NPC) National Press Club
- 1999年11月初旬にコロラドからシカゴに入り、同月5日・6日の両日、リムジン運転手を雇った。同月6日、運転手に「社交」相手の紹介を依頼したところ、当時イリノイ州上院議員だったバラク・オバマを紹介された。
- オバマにコカインが吸いたいと言うと、オバマは携帯電話を掛けてコカインの購入を手配した。オバマは、私が彼に渡した250ドルを持ってリムジンを降り、しばらくしてコカインの「8ボール」を手にして戻って来た。
- リムジンの中で、二人でクラック・コカインを吸った。オバマがクラック・コカインを吸っている間、オバマに口淫した。
- 翌11月7日、オバマがシンクレア氏のホテルの部屋に現れた。二人で再びコカインを吸った。再びオバマに口淫した。
なお、ラリー・シンクレア氏は、元麻薬常用者・麻薬密売人で、小切手偽造などの罪で有罪判決を受けたことがある人物だ。
ラリー・シンクレア氏は、2023年9月にもタッカー・カールソン(元 FOX 司会者)とのインタビューにおいて、同様の主旨の証言をしている。
ラリー・シンクレア:1999年にシカゴでオバマと車内でコカインを吸って一晩セックスした。それは彼の初めてのゲイ・セックス体験ではなかった。彼は翌日さらにセックスを求めてきた。
オバマとドナルド・ヤング氏の性的関係(前述)に関するラリー・シンクレア氏の証言
ラリー・シンクレア:オバマ が通っていた教会の聖歌隊長だったドナルド・ヤングから2007年に電話があり、オバマと性的関係があったと言っていた。その後、ヤングは射殺された。ヤングの母親は、ヤングはオバマを守るために殺されたと感じている。
(下のページ番号をクリックして、次のページへお進みください。)