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「ジャスティン・トルドー=カストロJr.」説を否定する、いわゆるファクト・チェック記事がその根拠として挙げるのが、次のような理由である。それは、「マーガレット・トルドーがフィデル・カストロと初めて会ったのが1976年なのだから、1971年生まれのジャスティン・トルドーがフィデルの子であるはずがない」、というものだ。
例えば、次の Snopes のファクト・チェック記事は、ジャスティン・トルドーの生年月日(1971年12月25日)から逆算して、マーガレットがジャスティンを懐妊した時期を1971年3月16日から4月22日の間と推定している。そして、マーガレットは同年3月4日にピエール・トルドーとこっそり結婚式を挙げ、3月8日までハネムーン(新婚旅行)に出ていたと述べ、その直後の時期に新婚のマーガレットが一国の首脳であるフィデル・カストロと、人に気付かれることなく会えたはずがない、という主旨の主張をしている。
(出典)2016年11月30日付 Snopes 記事
Is Justin Trudeau Fidel Castro’s Love Child?
(ジャスティン・トルドーはフィデル・カストロの私生児か?)
https://www.snopes.com/fact-check/justin-trudeau-is-fidel-castros-love-child/
ジャスティン・トルドーの生年月日が詐称されている可能性も考慮すれば、マーガレットがジャスティンを懐妊した時期は、必ずしも1971年3月16日から4月22日の間に限定される訳ではないだろう。だが、ここではこの Snopes による懐妊時期の推定を受け容れることにしよう。果たしてこの時期に、マーガレット・トルドーがフィデル・カストロと会っていた可能性はないのだろうか?
確かに、マーガレット・トルドーがフィデル・カストロと初めて公式に会ったのは1976年である。だが、これは公式に限った話で、二人が非公式に会っていた可能性が排除される訳ではない。
実は、ピエールとマーガレットのトルドー夫妻は、1971年4月中旬に、「2度目のハネムーン」でカリブ海の島々を訪れているのだ。このとき二人は、「バルバドスおよび名前が挙げられていない近くの島、トバゴ、セントビンセントおよびグレナディーン諸島(ベキアとセントビンセントの両方を含む)を訪れ、ピエールはトリニダードに寄り道し、マーガレットはトバゴに滞在した。」
(出典)ウィキペディア英語版「Margaret Trudeau – Marriage to Pierre Trudeau」の項
https://en.wikipedia.org/wiki/Margaret_Trudeau#Marriage_to_Pierre_Trudeau
カナダの日刊紙オタワ・ジャーナルの報道によれば、この時のトルドー夫妻の足取りは次の通り。「新婚夫婦のプライバシー尊重」という名目で厳しい報道管制が敷かれたことが分かる。
| 1971年4月 | |
| 8日(木) | トルドー夫妻、「2度目のハネムーン」でバルバドス着。西海岸の個人邸宅に滞在したと伝えられる。夫妻の到着後は厳重な警備態勢が敷かれ、地元報道陣は新婚夫婦のプライバシーを尊重するよう求められた。 |
| 12日(月) | 夫妻、バルバドス発。チャーター機で、名前が挙げられていない近くの島へ急遽寄り道。 夫妻、セントビンセント訪問。グレナディーン諸島のベキア島とその近くの小島で一日泳いで過ごす。 |
| 13日(火) | 夫妻、トバゴ(トリニダードの姉妹島)に滞在。 |
| 15日(木) | ピエール、トバゴ発、トリニダード着。マーガレットはトバゴに残る。 ピエール、トリニダード・トバゴのウィリアムズ首相と首都ポート・オブ・スペインで昼食。ピエール、昼食後にマーガレットが待つトバゴに戻る。 |
| 18日(日) | カナダ高等弁務官事務所の報道官によれば、ピエールはこの日にオタワに帰着する予定。トバゴの出発日は不明。 |
(出典)1971年4月13日付 オタワ・ジャーナル記事
Trudeaus’ Privacy Respected
(トルドー夫妻のプライバシーは尊重される)
https://www.newspapers.com/newspage/41523862/
(出典)1971年4月16日付 オタワ・ジャーナル記事
Trudeau Meets Williams
(トルドー首相、ウィリアムズ首相と会談)
https://www.newspapers.com/newspage/41524010/
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一方のフィデル・カストロは、1971年4月のこの時期にどこに居たのだろうか?
前掲 Snopes のファクト・チェック記事によれば、カストロはこの年の4月1日にキューバの議会で演説を行っている。そして、カストロは4月19日にキューバのハバナで、ピッグス湾侵攻撃退10周年を記念する演説をしたことが分かっている。
(出典)1971年4月20日付 ニューヨーク・タイムズ記事
CASTRO REJECTS NEW TIES TO U.S
https://www.nytimes.com/1971/04/20/archives/castro-rejects-new-ties-to-us-premier-in-havana-speech-also.html
この両日の間のカストロの動静は、確認できていない。差し当たり、この時期のフィデル・カストロに、マーガレット・トルドーとの密会を否定できるアリバイは無い、と言っても差し支えないだろう。
マーガレット・トルドーがフィデル・カストロと密会したとすれば、トルドー夫妻が4月12日に名前不詳の島へ寄り道している辺りや、4月15日に夫婦別行動を取っている辺りが怪しい。そして、それはマーガレットがジャスティンを懐妊したと推定される時期(1971年3月16日~4月22日、前述)とドンピシャ合致する。厳しい報道管制が敷かれていたことから、本気で密会しようと思えば、出来たのではないだろうか。
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