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【FT解説】 西洋による中東の支配は終わりつつある


西洋による中東の支配は終わりつつある

2013年6月18日
ギデオン・ラックマン

西洋諸国は、シリアの反政府軍に武器を与えるべきだろうか? これが、ワシントン、ロンドン、およびG8サミットにおける、今日の課題である。しかし、この議論の背後には、もっと大きな問題が存在している。すなわち西洋列強は、過去一世紀に亘ってしてきたように、中東の未来を形成し続けることができるだろうか、という問題である。

現在の中東の、脆弱性を増す国境線の大部分は、1916年のサイクス·ピコ協定 (※訳注1) の中で英仏が地図上に描いた何本かの線の産物である。英仏が支配的な域外大国だった時代は、1956年のスエズ危機によって決定的に終わった。この時米国は、英仏両国のエジプト干渉から手を引いたのだった。冷戦時代は、米ソが大きな役割を演じた。1991年のソ連崩壊後は、米国が中東における唯一の大国として存在した。すなわち米国は、1991年にサダム·フセインを倒すための連合軍を組織し、湾岸からの石油の流れを守り、イランを封じ込め、イスラエルとアラブ諸国の間の和平調停を試みた。

現在米国に対してシリアの紛争にもっと深く関与するよう促している人々は、過去に生きている人達である。この人達は、米国が中東の政治を支配し続けることができるし、そうすべきであると考えている。しかし、4つの根本的な変化によって、米国が従来のやり方で中東地域を支配することは、もはや現実的ではなく、それどころか望ましくなくなっている。

その変化とは、アフガン戦争およびイラク戦争の失敗、大不況 (the Great Recession)、アラブの春、そして米国のエネルギー自立の見通しである。

過去10年間に亘って、米国は次のことを学んできた。すなわち、米国の軍事力は大中東圏の政権をとても迅速に倒すことができるものの、米国およびその同盟諸国は国づくりがとても下手なことである。10年におよぶ関与の結果、アフガニスタンとイラクの両国は、ともにひどく不安定で、紛争で荒廃したままとなっている。どちらの国も、「西側陣営」にしっかりとは属していない。

その結果、ジョン·マケイン上院議員のように、シリアへの西洋の介入を擁護する者達ですら、「地上軍」[の派遣] には反対だと宣言している。代わりに、この者達はシリアの反政府軍に武器を供給するよう迫っており、より望ましい政治的結果を手にするためには武器供給が必要だと主張している。

バラク·オバマ大統領は、「反政府軍に武器を供与せよ」と主張する陣営に、幾らか譲歩している。だが、彼が不本意で懐疑的なのは明白であり、それは十分に正当化される。イラクとアフガニスタンの両国に対する西洋の本格的占領が、まともな結果を手にできなかったのに、シリアの反政府軍にわずかな軽兵器を供給することが、もっと効果的になるなどと、誰が信じようか?

大不況もまた、西洋の「いかなる負担も負う」能力が、もはや当たり前とはみなせないことを意味する。欧州の軍事費は急激に減少しており、ペンタゴンの予算削減が始まっている。イラク戦争の直接的・間接的コストが3兆ドルと推計され、米国政府が歳出の40%を借入に頼っている状況では、オバマ氏が中東で新たな義務を引き受けることに慎重なのは、ほとんど驚くに値しない。

第三の新しい要因は、アラブの春である。エジプトのホスニ・ムバラク大統領は、米国の長年の盟友かつ従属者であった。にもかかわらず、米国政府は、彼が2011年初頭に失脚するに任せることを決定した。中東地域における他の長年の米同盟諸国 ― 特にサウジアラビアとイスラエル ― は、これを大いに嫌悪し、警戒した。しかし、オバマ政権がムバラク氏との関係を絶ったのは正しかった。シリア式の大量殺戮の危険を冒すことなく、彼を支えることはできなかったであろう。

もっと根本的なことは、最終的には中東の人々が自らの運命を決めなければならなくなる、と米国が認識していることである。イスラム教や、スンニとシーアの宗派対立のように、中東地域で作用している力の多くは西洋にとっては気掛かりであるが、それらの力を永遠に [良き方向に] 導いたり抑圧したりすることはできない。

最後に、米国におけるシェール革命によって、中東の石油に対する米国の依存度が軽減するため、米国が [中東に対して] 不干渉の態度を取る能力が大幅に強化される。

しかし、西洋による中東の支配が終わりを迎えつつあるのを受け入れることと、西洋諸国が自らの利益を守るつもりはないと述べることを、混同すべきではない。

米国は湾岸に複数の大きな軍事基地を持っており、中東が敵対的な勢力に支配されることを、同盟諸国とともに防ごうと、なお努めるだろう。ロシアは、シリアにおける役割にもかかわらず、[中東] 地域の覇権国としてはもっともらしくない。しかし、イランは米国を心配させる。この週末の [イラン] 大統領選挙の有望な結果にもかかわらず、イランの核開発計画に対する攻撃は選択肢として残る。アルカイダにつながりのあるジハード主義勢力も、西洋からの抵抗に遭うだろう。これは、シリアの反政府勢力が、非常に用心深く扱われ続けている理由の一つだ。そして、米国およびその欧州同盟諸国は、シリアをめぐる地域外交に深く関与したままとなるだろう。

西洋の人道的な本能も、役割を果たすことになろう ― リビアの反乱を支援する決定に際して役割を果たしたように。だが、シリアが示しているように、西洋が引き受けるものには限度がある。民間人を「保護する責任」論の名付け親である知識人、ギャレス·エバンズ元オーストラリア外相ですら、シリアへの軍事介入に対して警告を発している。

反政府軍に軍事援助の提供を始めるという米国の決定にもかかわらず、オバマ氏はシリアの紛争に深く関与することに対して、明らかにまだ慎重である。彼の顧問達や盟友達以上に、オバマ氏は、中東地域で出現しつつある新秩序を、域外大国が制御する力は限られていることを認識しているようだ。中東における直接植民地主義の時代は、何十年も前に終わった。非公式な帝国の時代もまた、今や終わりに近づいている。

(引用終わり)

 

(※訳注1) サイクス・ピコ協定

第一次世界大戦中の1916年5月に英・仏・露の間で結ばれた秘密協定。戦後のオスマン・トルコ帝国領を分割して、3ヶ国で分配することを約した。英外務省の中東代表マーク・サイクスと、仏外交官フランソワ・ジョルジュ=ピコが原案作成。

この協定により、

  • 英は、メソポタミア南部 (現在のイラクの大半)、ヨルダン、パレスチナ
  • 仏は、レバノン、シリア、イラクのモスル
  • 露は、黒海東南沿岸、ボスポラス海峡、ダーダネルス海峡両岸地域

をそれぞれ獲得することとなった。

しかし一方で、英は1915年10月の「マクマホン書簡」によって、メッカの太守フセインに対し、アラブ人による戦後の中東領土支配権を約束していた。

さらに、英は1917年11月の「バルフォア宣言」によって、ユダヤ人富豪のウォルター・ロスチャイルド卿に対し、英政府としてユダヤ人国家をパレスチナに建設することに賛同する旨を宣言した。

これが、世に言う「イギリスの三枚舌外交」であり、現在に至る中東の紛争の種となっている。

(以上)