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「ドナドナ」が日本で有名になったのは、米国の女性歌手ジョーン・バエズ(Joan Baez)の歌(英語版)を通じてだった。バエズは、黒人の解放をめざす1960年代の公民権運動やそれに続くベトナム反戦運動の中で、そのシンボル的存在であった。
1964年にバエズのレコードが日本で発売された際に、「ドナドナ」は日本でのデビュー・シングルとして発表され、大ヒットした。「ドナドナ」は、日本で発売されているバエズのベスト・アルバム『ジョーン・バエズ・ベスト・ヒッツ』の一曲目にも、「ドンナ・ドンナ」という曲名で収録されている。
“Donna Donna” | 「ドンナ・ドンナ」 |
On a wagon bound for market | 市場へ向かう荷馬車のうえに |
There’s a calf with a mournful eye | 悲しいひとみの子牛が一頭 |
High above him there’s a swallow | 空のうえには一羽の燕 |
Winging swiftly through the sky | 燕は気持ちよさそうに舞っている |
* | * |
How the winds are laughing | どんなに風は笑っているだろう |
They laugh with all their might | 風は力のかぎり笑っている |
Laugh and laugh the whole day through | 笑え 笑え 一日中 |
And half the summer night | そして夏の夜半まで |
Donna Donna Donna Donna | ドンナ・ドンナ・ドンナ・ドンナ |
Donna Donna Donna Don | ドンナ・ドンナ・ドンナ・ドン |
Donna Donna Donna Donna | ドンナ・ドンナ・ドンナ・ドンナ |
Donna Donna Donna Don | ドンナ・ドンナ・ドンナ・ドン |
Stop complaining, said the farmer | 文句を言うんじゃないと農夫は言う |
Who told you a calf to be | 子牛であれと誰がお前に告げたのか |
Why don’t you have wings to fly with | どうしてお前にはないのだろう |
Like the swallows so proud and free | 誇り高く自由に舞うあの燕のような翼が |
* 繰り返し | * 繰り返し |
Calves are easily bound and slaughtered | 子牛たちは易々と縛られ殺される |
Never knowing the reason why | その理由も知らないままに |
But whoever treasures freedom | しかし自由を尊ばない者などいるだろうか |
Like the swallow has learned to fly | 飛ぶことを学んだあの燕のように |
* 繰り返し | * 繰り返し |
英語版の歌詞および翻訳は、前掲書『ポップミュージックで社会科』による。
[あまのじゅく注: 上で summer night とあることろは、実際には summer’s night と歌っているように聞こえる。]
なお、バエズが歌う「ドンナ・ドンナ」のクレジットは、やはり作詞アーロン・ツァイトリン、作曲ショローム・セクンダ(英訳者は Arthur Kevess, Teddi Schwartz)となっている。
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バエズの自伝(『ジョーン・バエズ自伝』矢沢寛・佐藤ひろみ訳、晶文社、1992年)に、この曲にまつわる興味深い話が載っている。1967年にバエズが初来日コンサート・ツアーを行った際、彼女は大変不快な思いをしたようだ。「ドナドナ」の大ヒットもあって観客は大入りだったようだが、歌の合間の観客への語りかけを日本人通訳者がちゃんと伝えてくれず、通訳者との間で一触即発の緊張状態が続いていたという。
後になって、米CIA(中央情報局)からその通訳者に事前に圧力がかけられていたことが判明する。米国のベトナム反戦運動のシンボル的存在であるバエズが、日本の聴衆に語りかける反米的メッセージをねじ曲げて通訳するよう、CIAから通訳者に脅しがかけられていたのだという。
「ドナドナ」は日本におけるバエズの代表曲であり、CIAも彼女がこの歌を歌うことまでは阻止できなかったが、彼女がこの曲と共に自身のメッセージを日本の観客に伝えることは妨害した。
前掲書『ポップミュージックで社会科』によれば、バエズ自身はユダヤ系の出自ではないようで、どのような経緯で「ドナドナ」の英語版を歌うようになったかは分からないという。
ジョーン・バエズの恋人だったボブ・ディラン(1941年生まれ)は、ユダヤ系アメリカ人だ。ウィキペディア英語版の記述によれば、彼の父方の祖父母は、ロシア(現ウクライナ)のオデッサから、1905年のポグロム(ユダヤ人虐殺)後に米国に渡った移民だという。彼の母方の祖父母も、リトアニア系ユダヤ人で、1902年に米国に渡ってきた移民なのだそうだ。だから、ディランの祖父母がイディッシュ語版「ドナドナ」を知っていて、それがボブ・ディランに受け継がれた可能性はあるかもしれない。バエズは、彼氏のディランを通じて「ドナドナ」という歌の存在を知ったのだろうか?
バエズが歌うことによって、「ドナドナ」は、単にユダヤ人への迫害にとどまらず、社会的弱者への迫害に抵抗する歌になったと言えるだろう。
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私自身が「ドナドナ」という歌を知ったのは、ジョーン・バエズの歌を通じてではなく、日本の音楽の授業を通してだった。その際にこの歌の背景(ユダヤ人の歌であることなど)は教わらなかったように思う。
なぜ、「ドナドナ」が日本の学校教育で教えられるようになったのだろうか。その経緯が知りたいところだ。(終わり)
(参考文献)
・『ポップミュージックで社会科』細見和之 著、みすず書房、2005年
・『マラーノの系譜』小岸昭 著、みすず書房、1994年
・『離散するユダヤ人 ― イスラエルへの旅から ―』小岸昭 著、岩波新書、1997年
(公開日: 2020年9月11日)
(改訂日: 2020年9月19日)
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