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ケネディ大使の沖縄訪問に寄せて

カヌチャベイリゾートから大浦湾ごしに、辺野古弾薬庫とキャンプ・シュワブをのぞむ。

カヌチャベイリゾートから大浦湾ごしに、辺野古弾薬庫とキャンプ・シュワブをのぞむ。
ⒸShintaro Suda:営利事業でのご利用は「グローバル フォト エクスチェンジ」(http://www.globalphotoex.com/)まで。

キャロライン・ケネディ駐日米大使が、沖縄を初訪問した。報道によれば、12日には公式日程になかった稲嶺名護市長との会談が実現。13日には、米軍普天間飛行場の移設予定先である名護市辺野古のキャンプ・シュワブ沿岸部を視察し、基地内から移設場所を見たという。

大使の沖縄訪問に先立つ11日、沖縄タイムス紙が 「拝啓 ケネディ大使 現地尋ね市長と会談を」 という英文・和文の社説を掲載した。読む者の胸を打つ名文で、きっとケネディ大使も読んで心を動かされたのではないだろうか。だからこそ、稲嶺市長と会って辺野古の現場を訪れたいと思ったのではないか。

この社説を読んで、ハッとさせられた箇所がある。「あなたは短文投稿サイトのツイッターで 『米国政府はイルカの追い込み漁に反対します』 と表明しました。辺野古の周辺海域は、イルカと同じ海洋哺乳類ジュゴンの生息域です。ジュゴンは国の天然記念物で環境省は 『絶滅の危険性が極めて高い種』 に指定しています」 というくだりだ。

実はケネディ大使が「イルカの追い込み漁反対」のツイートをした時、そのタイミング (1月17日) を含めて、私には腑に落ちなかった。私も一人の日本人として、「日本文化への干渉ではないのか? 米国だって牛や豚を屠殺しているではないか」 と、この発言に対して感情的に反発するところがあったからだ。

でも沖縄タイムスの社説を読んで、疑問が氷解した。「イルカの追い込み漁反対」のツイートは、「辺野古のジュゴンを守りたい」 というメッセージの裏返しではなかったのだろうか? ケネディ大使は、本心では「辺野古に基地を作りたくない」 と思っているのではないだろうか。

辺野古の基地建設に反対する上で、「ジュゴンを守るために」 というのは有効なロジックだ。だが、一方で辺野古のジュゴンを守ると言っている日本人が、一方で太地町 (和歌山県) のイルカ漁を積極的に支持しているのを、国外から見たらどのように見えるだろうか?「日本のダブル・スタンダード (二枚舌) 」 と思われるのではないだろうか。(もちろん、米国だってそんなダブル・スタンダードを数限りなく使っているのだが、その事はここでは措くことにする。) 件 (くだん) のツイートは、「辺野古のジュゴンを守るために、ここは一つ、イルカ漁は辛抱してくださいな」 というケネディ大使のつぶやきだったように思えてくるのだ。

もちろん、ケネディ女史は米国大使という立場上、仮に内心では辺野古基地反対と思っていたとしても、それを表立って表明することはないだろう。現に、大使は1月21日に朝日新聞のインタビューに対して「普天間移設と基地の統合計画は、昨年4月の合意に沿って前進すると信じている」 と述べている。

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沖縄タイムスの社説を読んで、もう一つハッとした箇所がある。「1963年11月、あなたの父ジョン・F・ケネディ大統領がテキサス州ダラスで悲劇に見舞われた日、この島も悲しみに包まれました。コザの繁華街はネオンを消し、飲食店は営業を自粛しました。哀悼の日には、学校や職場などで多くの住民が黙とうし、哀悼の意を表しました」 というくだりだ。

ジョン・F・ケネディ大統領暗殺の実行犯は、リー・ハーヴェイ・オズワルドという人物だとされているが、暗殺の真の首謀者は CIA と軍産複合体だという説がある。ジム・ギャリソンという人が、「JFK (原題: On the Trail of the Assassins: My Investigation and Prosecution of the Murder of President Kennedy)」 という本で主張した説だ。この本は、暗殺事件当時ルイジアナ州の地方検事だったギャリソン氏が、暗殺の真犯人に迫った執念の調査レポートだ。

軍産複合体とは、戦争によって儲かるビジネスを営んでいる人たちのことである。ギャリソン氏は、ケネディ大統領が暗殺されたのは、キューバ侵攻の中止とベトナムからの米軍撤退計画が主な理由だと主張する。ケネディ大統領は、ベトナム戦争から米軍を引き揚げようと意図したのだが、それをよく思わない CIA と軍産複合体から疎まれ、暗殺されたのだという。

沖縄は、ベトナム戦争時に米軍の前線基地となった場所である。だからベトナム戦争を終わらせようとしたケネディ大統領が暗殺されたことは、沖縄県民にとっても痛恨事だったに違いない。だからこそ、ケネディ大統領が銃弾に倒れた時、沖縄の島は「悲しみに包まれ」、「多くの住民が黙とうし、哀悼の意を表し」 たのではないだろうか。

そしてキャロライン・ケネディ大使は、そのジョン・F・ケネディ大統領の娘なのである。沖縄タイムスの社説に込められたメッセージは、「ケネディ大統領と沖縄県民は、共に平和を求める同士でした。だからケネディ大統領の娘であるあなたと沖縄県民も、共に平和を求める者として分かり合えるはずです」 ということに違いない。

「ジュゴンの海を守れ」の看板

「ジュゴンの海を守れ」の看板
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そのメッセージは、ケネディ大使に届いただろうか。

大使は、「稲嶺市長に会ってください」 という沖縄県民の呼びかけに応じるとともに、辺野古の現場も訪れた。大使と会談した稲嶺名護市長は、大使に誠実さを感じたという。また大使は、「近く沖縄を再訪できることを願っている」 と語っている。

沖縄県民の思いがケネディ大使に通じたことを、同じ日本人として心から祈っている。