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【フクシマ・タイムズ】 2013年12月26日 On Fukushima Beach (6)


◆ On Fukushima Beach (福島の渚にて) - その6 (最終)

ドキュメンタリー映画 “On Fukushima Beach (福島の渚にて)” の抄訳の続きです。
(前回分はこちらにてご覧いただけます。)

(動画はこちら)
http://www.youtube.com/watch?v=dOSjkEwCc8o

(42:50-52:00) [人類の] 絶滅すら招きかねない3つの [危機]

(1) チャイナ・シンドローム・イン・ジャパン

数々の否定や歪曲の末に、結局 1~3号機で、2011年3月12日には炉心が建屋下の地面までメルトスルーしていたことが判明。溶融した炉心は、土壌・地下水を汚染している。溶融炉心が地下で水と接触すれば、容易に反応して水蒸気爆発を引き起こす。

逃げていく3つの溶融炉心に追いつき、これをコンクリートで固めるのは、東電にとって途方もない仕事になる。東電はこれまでのところ、コストや株主への配慮などに基づき、福島第一の諸課題への対処を決めている。

(2) 太平洋へのプルトニウム流入

放射性プルトニウムを含んだ海水が、太平洋全体に広がるまでに5年かかると推定されている。海へのプルトニウムの流入が、今日までに食い止められたという兆候は、ほとんどない。放射性セシウムを体内に含んだクロマグロが、すでにカリフォルニアの海岸に姿を現している。世界の海産物、太平洋およびその生態系・生物多様性は、測り知れないほど危険にさらされている。太平洋の魚介類の消費は強く抑制されるべきなのに、消費を禁ずる措置はほとんど実施されていない。

Arnie Gundersen氏:

「福島では毎日200トンの水が炉心および燃料プールに注入されているという。入ったものは、何らかの形で出ているのだ。その出方は、一つは放射性の蒸気として、もう一つは海水中に漏れ出している。」

(3) 4号機

4号機の屋上階の使用済み燃料プールには、1,535本の核燃料複合体があり、水に浸かっているものの、外気・天候にさらされている。高放射能の環境下で、これらの核燃料複合体を水に浸したまま搬出しなければならない。

4号機建屋が倒壊し、燃料棒が地面に衝突するためには、マグニチュード7~8級の地震がもう一度起きるだけで十分である。燃料棒が大気中に露出すれば、発火してセシウム・放射能が大気中に放出される。その火は、自然発火性のため、水では消火できない。北朝鮮の潜水工作員による携行式ロケット弾攻撃ぐらいでも、4号機を破壊するには十分であろう。

この放射性の火災は、50m先の共用の使用済み燃料プールにある、6,375本の核燃料複合体に広がるだろう。これは、チェルノブイリから放出された放射性セシウムの50倍に相当する。

福島第一原発内には、さらに3,511本の核燃料複合体がある。これらも火災に飲み込まれれば、全体でチェルノブイリの85倍のセシウムが放出されることになる。

[元スイス大使] 村田光平氏は、もし4号機が倒壊すれば、北半球全体から人を退避させる必要があり、人類が絶滅する可能性も排除しない、と述べた。Arnie Gundersen氏ならびにHelen Caldicott博士は、もし4号機が倒壊すれば、北半球を離れると述べた。

「もし4号機の使用済み燃料プールが [倒壊] すれば、本州の大部分は文字通り終わりだ。」

「世界中の最良の科学者らが、24時間態勢でこの [4号機の] 問題を研究して、提言をするべきだ。『枠からはみ出た (outside the box)』 発想にとどまらず、『地球からはみ出た (outside the planet)』発想が求められる。さもなければ、『もう地球が残っていない』事態になりかねない。

[4号機の倒壊が起これば、] 南半球への大規模避難を誘発することは、ほぼ確実だ。放射能の惨禍が地球全体を覆い、人類や、人類が共存し依存してきた動植物の絶滅を引き起こす可能性は十分にある。

(52:00-53:45) エピローグ

映画「渚にて (On the Beach)」の登場人物らは、自分達が破滅する運命にあることを知っていた。だが、同映画は決して陰鬱な降伏 (あきらめ) の映画ではなく、皮肉にも観客達への嘆願であったのだ。『兄弟よ、まだ時間はある』という横断幕は、1959年から未来に向けての必死の叫びだったのかもしれない ― 核や放射能の潜在的危険や恐怖を際立たせ、より良い明日をもたらすべく、より良い選択をし、行動を起こし、答えを求めるよう、観客達を駆り立てるための。

政府および多国間の確かな対応やメディアによる妥当な報道が、不可解にも欠如していることは、これらの機関が国際的な原子力 (核) 産業に捕らわれていることを示唆している。

どうやら、この件については、我々民衆が自力でやるしかないようだ。まだ時間はある ― 人類が死に絶えないように、声を上げ行動を起こすための。

行動を起こせば、我々は環境を幾分かでも保全し、子孫を守ることができるかもしれない。無関心や無為 (=何もしないこと) が我々の応 (こた) えなら、我々は皆、地球のどこに住んでいようと、一緒に福島の渚 (On Fukushima Beach) に立って、放射能が我々の命をまとめて奪うのを待つことになる。いずれ [を選ぶ] にせよ、我々は子孫の裁定を受けることになる。

(53:45-58:39) エンド・タイトル・ロール

(抄訳終わり)

(訳者あとがき)

原子力関係の英文を和訳していて、いつも困惑するのが “nuclear” という語の訳だ。”Nuclear” とは、「核の」という意味の形容詞である。

日本語の「原子力」に相当する英語は、”nuclear power”。
日本語の「核兵器」に相当する英語は、”nuclear weapon” 。
どちらの場合も、”nuclear (核の)” という単語が用いられる。

つまり、原子力も核兵器も、同じ「核の」エネルギーを用いた技術であることが、英語では一目瞭然である。「核の」エネルギーを、発電に用いたのが “nuclear power”、兵器に用いたのが “nuclear weapon” である。だから英語圏では、原子力の推進と核兵器の開発が、一枚のコインの表と裏の関係にあることは、一種の暗黙の了解といえる。

ところが日本語では、発電の場合は「原子」、兵器の場合は「核」と訳し分けているがために、原子力と核兵器が表裏一体の関係にあることが、見えにくくなってしまっている。これは、(原発と核兵器を望まない) 多くの日本人にとって、大変不幸なことではないだろうか。

うがった見方をすれば、核の技術を日本に輸入した人達が、実態が見えにくいように、意図的に訳し分けたのではないか、という疑念すら湧いてくる。

原子力は核兵器と根っこが同じ、ということを、日本人は改めて肝に銘じる必要があるのではないだろうか。