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【うらおもて歴史街道 No.2】 ウォール街とボリシェヴィキ革命


アメリカ赤十字ロシア派遣団を実質的に率いていたWilliam Boyce Thompson とは何者だったのか?彼の経歴を簡単に見ておこう。Thompsonは、銅鉱山王グッゲンハイム家の使用人として、株式の売買や発起を手掛けて頭角を現し、財を成した。グッゲンハイム系列のケネコット銅鉱山企業のマネジャーなどを経て、インスピレーション・コンソリデーテッド銅会社 (Inspiration Consolidated Copper Company)、ネヴァダ・コンソリデーテッド銅会社 (Nevada Consolidated Copper Company)、ユタ銅会社 (Utah Copper Company) などの役員を勤めた。そしてチェース・ナショナル銀行 (Chase National Bank) の主要株主の一人であった。Thompson のFRB入りを押したのは、チェース・ナショナル銀行頭取だったAlbert H. Wigginである。

Thompsonがアメリカ赤十字ロシア派遣団を率いた狙いはなんだったのか? 著者のサットンによれば、それはボリシェヴィキを支援し、彼らのプロパガンダを広めることであった。Thompsonは、ロシア滞在中の1917年12月、ボリシェヴィキに百万ドルを個人的に寄贈している。ボリシェヴィキが政治的目的 (プロパガンダ) で使用するための資金であった、という。この金は、ニューヨークのJ. P. モルガンから、ナショナル・シティ銀行ペトログラード支店に送金された。

資本主義の権化のようなThompsonが、共産主義者であるボリシェヴィキを支援した動機は何だったのか?著者のサットンによれば、それは第一次世界大戦後のロシア市場の獲得であった。ウォール街のシンジケートによる戦後ロシア市場の開発・搾取を企てていたのである。Thompsonとウォール街の仲間達が恐れていたのは、ドイツ資本が戦後ロシア市場を占有することだった。このため、Thompsonらはボリシェヴィキを支援し、ロシアにドイツとの戦争を継続させ、ドイツをロシアから締め出そうとした。

ドイツも戦後のロシア市場を狙っていたのだ。周知のように、ドイツはレーニンらロシアの革命家達を支援していた。ロシア軍の解体を図り、ロシアを戦線から離脱させるためである。ドイツ参謀本部の計画した「封印列車」によってレーニンが亡命先のスイスからロシアに帰国したこと (1917年4月) や、ドイツが「革命の商人」パルブス (Parvus) に資金を提供し、ロシアの二月革命 (1917年3月) を引き起こさせる工作を企図したこと、などが知られている。レーニンやトロツキーらボリシェヴィキは、一方でドイツの支援を受けながら、抜け目なくアメリカ (ウォール街) の資本家からも資金を引き出していた、と言えるだろう。

Thompsonは、思想的に親ボリシェヴィキであった訳ではない。彼がボリシェヴィキを支援した動機は、イデオロギーによるものではなく、あくまでも商業的なものであった。

Thompsonは、1917年12月、Raymond Robins を代理として指名し、ロンドン経由でアメリカに帰国した。ロンドンでは、J. P. モルガン商会のThomas Lamont と共に、イギリスのロイド・ジョージ (David Lloyd George) 首相を訪問している。この訪問の目的は、当時「反ボリシェヴィキ」だったイギリスの戦時内閣にその方針を転換させ、ボリシェヴィキを支援するようロイド・ジョージ首相を説得することであった。この時の会談内容をロイド・ジョージが戦時内閣に報告した結果、戦時内閣はボリシェヴィキ支持に方針を転じた、という。Thompsonは、帰国後に、アメリカでもボリシェヴィキ政権の承認を訴えて国内を遊説している。

(なお、この当時、ロイド・ジョージ英首相は、国際武器商人バジル・ザハロフ (Basil Zaharoff) によって既に絡め捕られていたという。ザハロフは、戦争の両当事者に武器を売ることで財を成した、いわゆる「死の商人」である。ザハロフは、1917年時点で既にボリシェヴィキを支援していた。このため、ロイド・ジョージ首相がThompsonとLamontによる説得を受け入れ易い素地はあったものと推測される。)

Thompsonの帰国後は、彼の代理として、Raymond Robinsがボリシェヴィキのプロパガンダを広めるべく、ロシアで活動した。Robinsは、アラスカのクロンダイクのゴールドラッシュなどで財を成した人物である。彼の興味深い発言が、アメリカ上院の議事録に残っている。イギリスの非公式代理人としてボリシェヴィキとの折衝を務めていたBruce Lockhartに向けたものである。少し長くなるが、翻訳の上、引用する。

「貴方は、次のような話を耳にされるでしょう。私が、ウォール街の代表だという話を。私が、William B. Thompsonの召使いであり、彼のためにアルタイの銅を手に入れるべく働いているという話を。私が、ロシアで最良の森林地を50万エーカー、すでに自分自身のために手に入れたという話を。私が、すでにシベリア横断鉄道をかっさらったという話を。私に、ロシアのプラチナの独占がすでに与えられているという話を。これで、私がソヴィエトのために働いている説明がつくという話を。そんな話を貴方は耳にされるでしょう。

長官、私はこれらの話が本当だとは思いませんが、仮に本当だとしましょう。仮に、私がウォール街とアメリカの実業家のためにロシアを獲得する目的でここにいる、としましょう。仮に、貴方がイギリスの狼であり、私がアメリカの狼であり、この戦争が終わったらロシアの市場を巡ってお互いを食い合うことになる、としましょう。その際は、全くあからさまに、男らしく、そうすることにいたしましょう。でも同時に、我々はかなり知性のある狼であり、今この時に力を合わせて狩りをしなければ、ドイツの狼が我々を両方とも平らげてしまうことを知っている、と仮定しましょう。仕事に取りかかるのは、 (力を合わせて狩りをした) その後にいたしましょう。」

本人は冗談めかして言ったつもりかもしれないが、図らずもRobinsの本心が発露している。

これを読むと、Robins (およびウォール街資本家) の狙いが、ロシアの市場および鉱物資源の支配であったことが分かる。

このように、1917年のアメリカ赤十字ロシア派遣団とは、革命後のロシアの市場や鉱物資源の支配を画策した、ウォール街資本家のシンジケートであった。

余談ながら、赤十字の活動は、時にこうして革命活動の隠れ蓑として使われるようだ。例えば、ロシア皇帝ニコラスがペトログラードからトボリスクに護送された際、その列車には日本赤十字の札が掲げられていたという。

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